ペルセポリスで古代ロマンを感じてみる(イラン)

中東の3P遺跡のひとつ「ペルセポリス」に行きました。

ペルセポリス遺跡は、総面積は約12万5000平方メートルあり、ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡とともに「中東の3P」と呼ばれ人気があります。ペルセポリスは「ペルシャ人の都」というギリシャ語が語源となっています。ユネスコの世界遺産に登録されています。

紀元前520年、アケメネス朝ペルシャのダレイオス1世が建築に着手し、その子クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世の3代に渡って造営が続けられたそうです。ペルセポリスは宗教的な都として即位式やノウルーズ(新年)の祭儀など、重要な儀式が行われたと言われているそうです。

紀元前330年のアレクサンドロス大王の焼き討ちで壮麗な宮殿は燃え落ちて廃墟と化してしまったそうです。

遺跡への入口である、大階段へ向かいます。

クセルクセス門

ペルセポリス宮殿の正門です。クセルクセス1世によって建てられ「万国の門」と称されています。以前は、東西南の3方に出入口があり、西ゲートには牡牛像があります。牡牛像は以前は牡牛の頭がついていたけど、偶像崇拝を嫌うイスラム教徒によって破壊されてしまったそうです。

東ゲートの人面有翼獣神像のレリーフがあります。こちらも牡牛像と同様に壊されています。

この門を東に抜けると通路があり、双頭鷲像があります。これどこかで見たことある・・?と思ったらイラン航空のシンボルマークでした。柱の上に双頭鷲像を載せて、鷲のふたつの頭の間の水平になった部分にレバノン杉で造られた梁を載せて屋根を支えていたんだそうです。なんとも豪華な装飾なんだ!鷲と言っても足はライオンっぽいですね。

双頭の牡牛もありました。馬っぽく見えるけど牡牛だそうです。双頭の鷲と同じで梁を載せていたと言われています。

未完成の門にも牡牛がいます。

百柱の間

かつては100本の柱があったペルセポリスで一番大きな広間でした。クセルクセス1世が着工し、アルタクセルクセス1世が完成させたそうです。柱はほとんど崩れてしまって残っていませんが、入口のレリーフはしっかり残っていました。

南側の「玉座の王像」は王の権力を誇示したものだそうで、ダリウス1世が玉座に座り、下の方に何段もアケメネス朝の属州の王が彫られています。諸民族の王の上に、王の中の王であるダリウス1世が君臨しているということなんでしょうね。王の頭上には鷲のように翼を広げたゾロアスター教の最高神である「アフラ・マズダ」が彫られています。

西側には、王が向かい合った獅子の頭部を掴み、短剣を突きつけているレリーフがあります。これも王の力を示すためのレリーフだと言われています。

アバターナ(謁見の間)

ダレイオス1世によって建てられた豪華な宮殿で、隣国からの使者との謁見や祭儀のために使われていたそうです。床には磨かれた石が敷き詰められ、レバノン杉が使われていたという屋根は、高さ19メートルの36本の柱によって支えられていました。見どころは東階段のレリーフです。

階段の左側には、ペルセポリスには23の属国の使者たちの様子や貢ぎ物が各国ごとに描かれています。それぞれ、牛、馬、羊やラクダを連れているんだけど、ラクダもヒトコブラクダとフタコブラクダがいます。使者が手に持っている貢ぎ物も、スパイスの入った壺や食料、金の腕輪などが描かれています。

2頭の牝牛を連れているのは、アッシリアからの使者です。

エラムからの使者はライオンを連れています。

鉢をもってフタコブラクダを連れているのは、パルティアの使者です。

これは誰だったっけな・・?

階段の右側にはペルシャ人の高官のレリーフがズラーッと並んでいます。

ここで一番有名な「牝牛を襲うライオン」のレリーフです。このレリーフの解釈はいろいろあるそうですが実際のところ分かっていないそうです。

アルタクセルクセス2世王墓

ここから遺跡を一望できます。結構急な上り坂でキツかったです。

中に入ることはできません。山の岩肌に浮き彫りにされた高さ12メートル、幅6メートルのファサードは、上部に「玉座かつぎ」のレリーフを見ることができます。

遺跡は広いし、日陰は少ないし、アルタクセルクセス2世王墓への坂道は急だったしで、観光には体力が必要だと改めて思い知らされましたが、クセルクセス門やアバターナの柱の大きさに圧倒され、保存状態の良いレリーフに創造力を掻き立てられました。

またいつかゆっくり訪れたい遺跡です。

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