アルハンブラ宮殿はとっても広かった 1(スペイン)

グラナダにある「アルハンブラ宮殿」に行ってきました

アルハンブラは、アラビア語の「アル・ハムラ(赤い城)」からそう呼ばれるようになったと言われています。アルハンブラは宮殿というよりは、モスクや住居、官庁、軍隊、学校、庭園、浴場などが城壁に囲まれた街の総称のことです。

添乗員さんから、明朝の9:00にアルハンブラ宮殿に予約を入れていること、20名を超える団体での入場は制限されているため2班に分かれて観光すること(ツアー参加者は30名強でした)を説明されました。また、明日の朝は8:30にはホテルを出発するとのことでした。さらに、各班に現地ガイドの同行が必要とのことで、アルハンブラで2名の現地ガイドが待っているそうです。

なかなか細かいところまでルール化されていて面倒だなと思ったのですが、世界的な観光地であるアルハンブラ宮殿は、1日の入場者数の制限があるだけではなく、入場券も午前券と午後券に分かれていて、半日しか入場できない上に宮殿への入場制限時間も決められているそうです。

このおかげでしょうか。他の観光地と違い、宮殿の中に人がすし詰めなんてことはなく、ゆったりと観光することができました。他の世界的な観光地もアルハンブラ宮殿を見習えばいいのにと思いました。

歴史

アルハンブラはひとつの城塞都市でありながら、異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体であり、時代によって建築様式が異なっています。

711年に北アフリカのイスラム教徒たちは、ウィティツァ王を支持する一派の助けを借り、ロドリゴ王を打倒すべくイベリア半島に上陸、その後数年でイベリア半島全体がイスラム圏となり、グラナダの丘の上には軍事要塞アルカサーバが建てられました。これが現在のアルハンブラの最西端の部分です。

11世紀後半からキリスト教徒のレコンキスタ(国土回復運動)が本格化し、13世紀にはイスラム圏に残されたのはグラナダを中心とするアンダルシア南部のみとなりました。この時期に建国したナスル朝の時代に入ってからは、アルハンブラは大きく拡張され、その後60年の歳月をかけ水道を設置し、マチョーカの塔、正義の門、コマレス宮やライオンの中庭などが造られました、

15世紀後半に、カトリックのレコンキスタでグラナダが陥落するとカルロス5世によってカルロス5世宮殿が建築されました。モスクは教会に変えられ、礼拝堂や修道院も建築されました。

ヘネラリーフェ

太陽の丘に造られた庭園のうち、今日まで残ったのはこのヘネラリーフェのみだそうです。グラナダの王が宮廷の雑務から逃れて憩いの時を過ごすための別邸でした。

現在の庭園の造園は、1931年から20年かけて、フランシスコ・プリエト・モレーノ氏の指揮によって造られました。中世の庭の面影は全くないとはいえ、当時、何の評価もされなかった場所を立派な庭園に生まれ変わらせることができました。

アセキアの中庭です。私がアルハンブラへ来たいと思ったのは、世界遺産の番組でこの噴水のある中庭を見てからです。テレビで見たよりはこじんまりとしていましたが、よく手入れされた草花と勢いよく出る噴水の音がとてもさわやかな空間でした。

ここは、この離宮で最も古いため何度も改築されているのに、アンダルス風庭園の様式を最もよく残しています。噴水は後から付け加えられたそうです。

カルロス5世宮殿へ向かいます。途中も緑がいっぱいで、素敵な小道でした。

カルロス5世宮殿

宮殿は、ナスル朝地区の外に続くキリスト教徒の集落に建築されました。ナスル朝宮殿は王の夏の別荘で、この宮殿が王とその家族の生活の場として使用されました。

1527年にミケランジェロに師事したペドロ・マチューカにより建設が始まり、30年後の1957年に完成しました。資金不足や反乱のため建築が中止されたり、放置されたため天井が崩れるなど建設は困難なものだったようです。

宮殿は、正方形で正面は幅63m、高さは17mです。中央にはルネッサンス様式の中で唯一の円形の中庭があります。1階の柱はドーリア様式、2階はイオニア式と言われています。

次回は、ナスル朝宮殿に向かいます。

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